武田信玄が持ち去った善光寺の梵鐘
善光寺の御本尊は日本に渡った最初の仏様。神仏の威光や御利益を自らの力としたかった為政者たちにとって、非常に重要な存在でした。
特に戦国時代の武将たちは、御本尊を手中に収め、独自に守護しようと奪い合いました。武田信玄は甲斐へ、織田信長は岐阜へ、徳川家康が再び甲斐へ、そして豊臣秀吉が京都へ。善光寺如来は武将たちによって各地を転々とし、死を間近にした秀吉の命で信濃へ戻ったのでした。
武田信玄が甲斐へ御本尊を遷した際、鐘楼の鐘も奪って行きました。現在、山梨県甲府市の甲斐善光寺にある梵鐘がそれで、重さ150kgもあり、運ぶ際に引きずってついた無数の傷が残っています。
現在、善光寺の鐘楼にある梵鐘は17世紀に鋳造されたもの。国の重要美術品に指定されている名鐘です。1998年2月に行われた長野冬季オリンピックの開会を告げた鐘としても知られます。「善光寺鐘楼最中」は、この美しい梵鐘をモチーフに作った最中で、善光寺ご公許の一品です。
ちなみに善光寺の鐘楼は、昨年11月の長野県神城断層地震で石垣が崩れましたが、この御開帳を前に曳家(ひきや)と呼ばれる特殊な工法で修復されました。
(2015年4月 記)