二葉堂について(洋菓子・和菓子の歴史)
時代を経て受け継がれる味と技術
私ども二葉堂は江戸時代 初代長次郎が江戸で修業を積み須坂藩主 堀直皓公から「二葉屋」の屋号を拝領したのが始まりとなりまして、その後 明治~大正~昭和~平成の時代を歩み続け現在に至ります。菓子づくりは日本文化の継承と発展に関与することであることを心にとどめ、これからも地域の経済文化の発展に貢献して参りたいと思います。
沿革
1804年 | 江戸在勤中の九代須坂藩主・堀直晧公に御用菓子司を仰せつかり、屋号「二葉屋」を拝領 |
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1808年 | 御用菓子司として須坂藩において御用を務める |
1851年 | 二代目百助、十二代将軍徳川家慶公から褒賞御下賜される |
1853年 | 二代目百助、屋号を「二葉堂」に改める |
1866年 | 三代目盛太郎、家業を継承 |
1888年 | 四代目文治、上水内郡朝陽村南屋島に和洋菓子調進所二葉堂を移転開店 |
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1909年 | 四代目文治、カステラの品質改良に意を用い、カステラの卸売りを始める | 内国製菓品評会、各博覧会、共進会などにおいて金銀賞牌数多く受領 |
1918年 | 上水内郡吉田町本町(現長野市吉田本町)にカステラ専門工場開設 | 陸軍御用達を命ぜられる |
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1918年 | 信濃電気(現中部電力)に依頼し、カステラ用電気窯製作 |
1919年 | 皇太子殿下(後の昭和天皇)御入信の際、お買い上げの光栄を得る |
1929年 | 長野電鉄信濃吉田駅前に本店・工場を新築落成 |
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1933年 | 第9回全国菓子飴大博覧会において名誉金賞牌(棹カステーラ)を受領 |
1946年 | 文治長男・清水一雄が五代目となる | 「栗まんじゅう」「カステラまんじゅう」など製造 |
1949年 | バタークリームケーキ、パンの製造販売を開始 |
1952年 | 株式会社二葉堂を設立、初代代表取締役社長に清水一雄が就任 | クリスマスケーキの製造を始める |
1957年 | 第14回全国菓子大博覧会(長崎市)においてカステラ特等賞を受領 |
1958年 | 生クリームケーキの製造を始める |
1959年 | 第1回全国カステーラ大品評会において総裁賞を受賞 | 「杏っ子」商標登録 |
1961年 | 第15回全国菓子大博覧会(名古屋市)において名誉無鑑査賞(長崎カステラ)を受領 |
1963年 | 食品衛生優良施設として日本食品衛生協会長賞を受賞 |
1965年 | バウムクーヘン製造を始める |
1966年 | 丸善百貨店(現ながの東急)売り場開店(長野駅前へ移転後)食品衛生優良施設として厚生大臣賞を受賞 |
1967年 | 「雪踏」(ブッセ)発売 |
1968年 | 二葉屋製菓株式会社設立、代表取締役社長に清水一雄が就任 |
1970年 | 六代目清水保男、株式会社二葉堂の代表取締役社長に就任 |
1971年 | 代表銘菓「何丸」発売 |
1973年 | 「多宝梅」発売 |
1974年 | 栗水羊かん「栗みず」発売 |
1977年 | 須坂市米持にカステラ、和菓子部工場を新築移転 |
1986年 | 創業180年を記念して「エスタフェア180」開催 |
1987年 | 須坂工場に洋菓子工場を増築し、和洋両部工場を統合、同時に営業本部・製造本部を設置 |
1989年 | かれん亭須坂店開店 直営店10店舗となる(他FC店3店舗) | 第21回全国菓子大博覧会(松江市)において内閣総理大臣賞(何丸)を受領 |
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1990年 | ながの東急ライフ売場開店 |
1991年 | かれん亭更埴店開店 |
1992年 | かれん亭中野店開店 |
1994年 | 食品衛生優良施設として長野県知事賞受賞 | 長野冬季オリンピック・ライセンシーとなり、くるみサブレ「飛躍」を発売 |
1995年 | 代表取締役会長に清水保男、七代目代表取締役社長に清水偉男が就任 | 須坂工場の厚生施設など増改築工事完成 |
1996年 | 「りんご小径」発売 | 「かれん亭」の店名を「二葉堂」に変更(須坂店・中野店・更埴店の3店) |
1997年 | 川中島店開店 |
1998年 | 長野オリンピック開催 |
1999年 | 長野高田店開店 |
2002年 | まゆみだ通り店開店 |
2003年 | 篠ノ井店開店 |
2005年 | 代表取締役会長に清水偉男、八代目代表取締役社長に清水基弘が就任 |
2006年 | 本社所在地を長野市吉田から須坂市米持に移転 |
2007年 | 吉田本店・本郷店・西和田店を統合し長野総本店開店 |
2012年 | 千曲店(旧更埴店)リニューアルオープン |